SSブログ

杉本博司の展示にて

2012071401.jpg

原美術館の杉本博司の展示を見たときのこと。

裸から被服へというテーマでの展示だが、はじめにニューヨーク自然史博物館を撮影した「ジオラマ」のシリーズを見ることができた。

その中のキャプションで、自然界の中である特定の種類の生物が異常繁殖したときに、その個体数を減らす自動調整機能説を唱えている人が居る、ということが書かれていた。中世ヨーロッパで流行したペストのシーン(の再現)の写真だったと思う。

僕も同じようなことを考えたことがある。

以前に都写美でサルガドの展示を見たときのこと。干ばつで作物がとれず、痩せて息も絶え絶えな小さな子どもを抱いて、親が医者のところへ連れて行く様子(あまりよく覚えていませんが)を捉えた写真があった。このときも、地球があたかもひとつの生き物で、免疫機能が働いているような、とか、大地が枯れれば人間も淘汰され、人間が自然の機能の一部に過ぎないような印象を受けた。

日本はではどうだろうか。毎日どこかで亡くなる人がいる。生きるのに必死かといえば、逆に自ら命を絶つ人がいる。自殺の原因は人それぞれだが、鬱病も原因であることが多い。今や国民の10人に1人が鬱病とその予備軍とも言われている。耳を疑いたくなる数字だが、毎日どこかで電車の人身事故などが起きていることを考えると、本当なのかもしれない。

僕も数年間鬱病で苦しんだ。気分編調整障害という、鬱の中では比較的軽い部類のものだが、それでも生きた心地はしなかった。自殺する勇気まではなかったが、道端で車で轢かれないかな、とか、ビルから鉄骨が落ちて来ないかな、とかあらぬ期待をしていたことがある。地球からしてみれば、僕は悪い菌で、運が悪かったら免疫機能によって「排除」されていたところである。

誰だって排除される可能性はあるのかもしれない。天災も、交通事故も、出生率の低下も、すべて自動調整機能なのではないかとも思えてくる。

地球というのは、一体どういう人間の遺伝子を残そうとしているのか、自然の意図はまったく分からない。意図なんてないのかもしれないが。

地球の総人口は70億人を超えたと言われ、いまも増え続けている。この先、地球の「免疫機能」は何を引き起こすのかだろうか。

ペストのシーンで、遺体を運ぶ役の人形には全身を覆う防護服が身につけられていた。昨年の原発事故以降、テレビでよく見かける、事故収束の作業員が着ている防護服と重なるものがある。

自動調整説はウソではないような気がしている。
| 写真展巡り | Comments(0)

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。