ネパールの旅
シヴァ神、妻のパールヴァディー、その子ガネーシャ(ちょっと見辛いが)
お土産で買ってきた像。インドの神々を家で飾れるのが何となく嬉しかったりする。
ネパールは、カトマンドゥの空港に着いて、最初に車で数分のところにある「パシュパティーナート」というヒンドゥーの聖地を訪れた。
ガンガーの支流の上流のところで、川岸で死者の遺体が荼毘に付されているのを見かけた。今まで嗅いだことのない、凄まじい死臭がした。
ネパールではどうなのかは知らないが、インドでは、特にバナラシなんかがそうだが、聖地でシヴァ神の加護のもと死を迎えることで、来世はより良い境遇に生まれ変わると信じられているようだ。だから死は喜ばしいことなのだという。ただし輪廻からは解脱はできないと考えているようだ。
この前見てきた越後妻有トリエンナーレで、遺影を撮る写真スタジオがあり、横でイメージビデオが流れていた。インタビューで、死とは何かという問いかけに対して「終わり」とか「無くなること」といった答えが多い日本人。死の問題を科学が解決してしまった日本。いまの日本って宗教が無いんだなぁと思った。
閑話休題。
残った遺族の人たちは、川から手で水をすくい、遺体にかける。ガンガー(ここは違うが)は川であるが、ガンガーという女神の顕現でもある。最後は遺体は川に流される。神様のもとに還るのだ。ヒンドゥー信奉者の敬虔さを目の当たりにして、いきなり感動。
最初からこんな感じで、ネパールは毎日が濃かった。
今回は220フィルムを28本と、120フィルムを3本撮影。120フィルムが59本相当ということになる。すべてカラーネガ。
現像代が・・・他にも印画紙や、現像液も・・・懐にキビシい。プリントは早くて12月くらいから始められるだろうか。早く撮った写真を見てみたい。
ネパールの旅
昨日深夜に帰宅。バンコク発の羽田着だったので、帰り道はとても楽だった。
出発前日のこと。
いよいよ明日からネパール!準備も終わり、今日までにやるべきこともやった。あとは行くだけ!
そうであれば良かったのだが、大学の図書館に本を返却していないことに気がついた。
延滞すると、延滞した日数分借りることができなくなる。時期的に卒論もかかっているし、それはとてもマズい。帰ってきてから12日間借りられなくて、仮にそれで卒論が書けなくて、また留年になったら一生の不覚である。
どうにか、大学の近所に住む後輩君に返却してもらえることができた。出発当日の朝、本を手渡ししてから成田空港に向かった。
既に遠い昔のことように感じる。
越後妻有トリエンナーレを見る
運転役を頼まれ、向かった先は新潟の十日町。大地の芸術祭を見に行ってきた。
この手の現代アート系のイベントに行くのは初めてだ。
正直に白状すると、今まで東京でやれば良いじゃんと思っていたが、それは違った。その土地で、巡ったり、食べたり、風景を見たり、人とお喋りしたりしながら、楽しむんだなぁと思った。
いちばんツボだったのが、クリスチャン・ボルタンスキーの「最後の教室」という作品。廃校になった学校が丸ごと一つの作品になっている。
他にも写真関係では森山大道や石川直樹が見られたが、どうも純粋に「写真を観る」のとは別の要素が働いている気がして、写真自体への感想が出てこない。その意味ではいろいろ考えさせられたが。
地域全体を美術館と見立てていて、東京23区ほどの広さのある十日町市のあちこちを回った。空気はさわやかで、お米は美味しく、お酒はかなり弱いのだが、松之山という地区にしかない「白鳥」という地酒も美味しかった。
1泊2日だけだったが、ハマってしまった。これはまた来てみたい。
旅は自分に力を与えてくれる気がする。また旅がしたい。こんな良いタイミングで、10月はネパールだ。
写真はお土産に買ったお米。
玄関
家に帰ってきた。写真は別の日に撮ったものだけど。帰る家があって、幸せだと思ったが、何か腑に落ちないままでいる。確かに自分は家もあって、布団で寝ることもできて、恵まれている。
しかし、帰る家を失った人もいれば、家があってもまだ帰れない人もいる。避難指示が解除されても、安心して生活できない人もいる。
自分が言う「幸せ」が、果たして本当に正しいものなのかどうか。そんなことを一週間ずっと考えていた。
今回の訪問地
福島県いわき市、広野町、小野町
被災地に行ってきた #3
久之浜港に来てみた。
誰も居ないようだ。漁船が整然と並んでいるが、放射能汚染の影響か、漁をやっているようには見えない。
途中でノラ猫たちが集まってきた。漁師さんたちが来なくなって、久々に人に会ったのか、なんだか嬉しそうにしている。こいつらも、津波から逃れて生き延びてきたのだろうか。大変だったな。偉いぞキミたちは!
他にも数カ所回ったが、この日はほとんど何も撮っていない。
撮るのがはばかられるのもあるが、何を撮って良いのか分からない。かと言って、テレビで見たような光景を撮りに来たワケではない。
結局この後は帰ってしまった。
被災地に行ってきた #2
この日の宿は、内陸にある小野町。いわきと郡山の中間くらい。
今度で4度目の訪問になる。前回の訪問は2年前。(→http://chillout-camera.blog.so-net.ne.jp/2010-12-15) 小野温泉という、小野小町ゆかりの温泉地だそうだが、山間にある、のどかな町の雰囲気が好きだ。この町にも、原発周辺の住民が避難してきているらしい。
夕方6時頃、宿に到着すると、下駄箱には靴が一足もなかった。どうやら他にお客は居ないらしい。やはり風評被害のようで、開店休業状態なのだそうだ。
わざわざ、自分のためにお風呂も用意してもらって、かえって赤字ではないだろうかと心配になった。
翌朝、外は土砂降り。この霧の中にも放射性物質が含まれているのだろうか。福島第一原発からは直線距離にして37km、目と鼻の先だ。しかし心配は無用。ここは奇跡的に放射線量が低いそうだ。後に調べたら確かに長期間にわたって低かった。遠く離れた、首都圏のホットスポットよりも低い。10月下旬の時点でも0.09マイクロシーベルト。子供たちが普通に外で遊べるそうだ。
翌朝の朝食のお米がとても美味しかった。
被災地に行ってきた
3月11日の地震と津波。テレビの中継で津波が町を襲う様子を食い入るように見ていたが。あのときは、いま大変なことが起きているのは分かるのだが、人の想像を遥かに超えているので、何も言葉が出て来なかったような記憶がある。
写真家なら、見るべきだろうと、何となく思っていた。(自分が写真家と名乗れる実力はまだ無いと思うが)
何が起きているのか。興味本位とか自己満足と言われれば否定はできないのだが、テレビで言ってることがすべてではない。風が吹いてるとか、草木がなびいてるとか、何でも良いから自分の目で確かめたかった。
半年以上が経って、今さらながら自分も被災地に行くことができた。
写真家なら、見るべきだろうと、何となく思っていた。(自分が写真家と名乗れる実力はまだ無いと思うが)
何が起きているのか。興味本位とか自己満足と言われれば否定はできないのだが、テレビで言ってることがすべてではない。風が吹いてるとか、草木がなびいてるとか、何でも良いから自分の目で確かめたかった。
半年以上が経って、今さらながら自分も被災地に行くことができた。
宗谷丘陵
この周辺一帯の、高低差が大きく緩やかな起伏のある地形のことを「周氷河地形」という。約2万年前の氷河期最末期から、大地の凍結と融解による流土を繰り返すうちに現在の地形ができあがったと言われている。
ここは、地球の歴史を目の当たりにできる場所だ。