アントワーヌ・ダガタの写真を見て思い出した
5ヶ月ぶりの更新、生きております。
少し前に、渋谷のアツコバルーで開催されていたアントワーヌ・ダガタの写真展を見に行った。写っているものと言えば、麻薬中毒患者、娼婦、囚人、戦争で破壊された町(リビアの内戦の写真らしいです)の景色など。何もかもが壊れている、地獄絵図としか言いようがない。ドラッグに心身を破壊され、しかしドラッグに依存しないと生きていけない、ギリギリのところで繋がっている命の営みが何とも虚しく感じられる。
写真から迫ってくる狂気には身に覚えがある。僕がうつ病だった数年前のこと。理性も何もかもぶっ飛んで、暴言を吐いたりしていた。止めの一言といえば「生まれてこなければ良かった」。これで何度も親を泣かせたことがあった。言ってはいけないことだと思うが、心身狂ってたから仕方がない。その頃は「今の辛さと、死の恐怖を天秤に掛けてどちらが・・・」なんて考えたりもしたくらい、皮一枚のところで命を繋いでいた。要するに何もかもが壊れていたのだ。
それから今は調子を取り戻すことができた。ダガタの写真を見て久しぶりに壊れた感覚を思い出したが(別に思い出したいワケじゃないけど)、壊れた以前の自分が、同じ自分であるのがにわかに信じがたい。
今年もよろしくお願いします。
2014年が明けた。
年賀状は年が明けてから書けばいいやと思っていた矢先のこと。昨年末12/31に祖父が他界し、新年早々から葬儀があった。
胃がんで昨年から入院生活をしていて、一度は手術したものの切除しきれず、高齢で体力的にもたないということで二度目の手術は見送っていた。年を越すかどうかと言われていたが、本当にその通りになってしまった。
最後の瞬間を見届けたワケではないが、穏やかな表情で、眠るように亡くなった。綺麗な顔だったが、お化粧はしてないそうである。意外だった。苦しまなくて良かったと思う。
ドタバタするかと思ったが、元旦では誰も動けず。親類縁者、生前関わりのあった方のほとんどが高齢で遠方なので、今回は家族葬という形になった。心の準備はできていたのか、それとも実感が無いのか、葬儀はシーンとしていた。なんだかアッサリ終わってしまった。
ところで、つくづくウチは家族が少ないなと感じる。従兄弟は何だか疎遠だし、母方の叔父さんちは子どもがいない。将来自分一人になってしまうのではないかと思うと恐ろしい気持ちになった。家族を大切にしなければと改めて思った。
EOS6D
EF40mm f2.8